人を育てるというのはとても難しい。



筆者なんかは

あまりアレコレと教えられずに

いわゆる「見て盗む」的なもので育っていて

失敗も繰り返して

怒られたり嫌味言われたりしながら

自分で学んだりしたクチだ。

おかげで「自分の力」と言う物が育って応用が利くようになった。


でもそれって出来る人にしか出来ないもので、

普通は教えられて育つものだし

そのほうが速度を持っていて効率的にもいい。

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「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ


と言うビスマルクの言葉がある。


一見

「経験は大事でしょ!」

的に思ってしまうが、


この言葉の続きに

「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む



と続くようにつまりは

歴史的にダメだとわかっている物事を

わざわざ

「やってみなくちゃわからない」

もしくは

「知らなかった」

と失敗しなくてもいいのに失敗し、

時間なり利益なりを犠牲にしたり

痛い目を見る者を

「愚者」。

歴史上繰り返されている失敗は避け

効率よく成長し前に進む者を

「賢者」

かしこいよねっていっているのである。


大きな例で言えば戦争といったところか。

身近な例ではありすぎて困るw


とわいうものの筆者もそうだが

大抵の人は経験に学ぶ。

その経験のたびに

「俺ってアホだなぁ」

と反省し成長する。

所詮

人は愚者なのだ。

だから賢者を目指す。


上記の話は自戒だが、

こういうやつも愚者だ。


無知のやつに仕事をさせる

失敗する

怒る


この場合

「仕事をしたやつが失敗した」のではなく
「仕事をさせたやつが失敗させた」のだ。

本来怒られるのは仕事させたほうなのである。


この愚者はおそらくこういうだろう。

「俺もそうやって育った」
「なんでも失敗しないとわからない」


確かにそれでも育つだろう。

でもこの育て方を繰り返しても

いままでと同じ時間を浪費して同じレベルの人間を育てるだけである。


本当は失敗した前例は失敗させないように

先に学ばせて

自分(先輩)のレベルまで早く育て

そこから

互いに(歴史的に)未経験のことにチャレンジし

失敗を繰り返しながらも成長しないといけない。


そうして代を重ねないと色々な事を無駄にする。


とわいえ

言葉だけではわからない事が多々あるのも事実。

そんな時に必要なのが

「安全に失敗させる」

である。


「絶対こっちのほうがいい」と思ってしまう

「エゴ」は

大概の人が持っていると思う。

そこを完全否定して無理やり言葉だけ押し付けることも

反発など色々支障が出てくることだろう。


なので

安全に失敗させてあげて

経験させてあげる。

すると

「確かに言ってること間違ってなかった」と合わせて

信頼関係も深くなる。

次からは言葉で経験させてあげることもしやすくなる。


あくまで

「安全に」。

これが大事。

結果、支障(損益)が出ては意味が無い。

支障が出るから怒るんだ。


子育ても同じ。

安全に危ない事を経験させてあげるといいだろう。